東日本大震災追悼

10年前
私は地元でパート事務をしていて4階建てのビルの3階にいました

4時上がりの時間まで5人の事務員といつものように仕事をしていた
ものすごい大きな揺れを感じたのと同時に緊急事態を伝えるみんなの携帯アラームがけたたましくオフィスに鳴り響きました

デスクが大きく傾きながら左右に動き回る
引き出しがガタンガタンと出たり引っ込んだり
デスクの下に潜り込んでも体もデスクも激しく揺さぶられる

長く大きな地震
はじめてこんな怖い地震

保育園に預けている次女、そして6年生の長女、中学2年の長男のことが脳裏に浮かび直ぐ夫に電話をしました

辛うじて繋がった電話で慌ただしく互いの安否確認と下の子どもたちから引き取りに行くことを伝えた※三女四女は当時生まれていない

上司から全員退社するように言われチャリで保育園に向かった
園庭で先生方が円になって真ん中に子供たちが避難していました
次女はおぼつかない小さな声で地震が怖かった事を私に報告
隣の小学校へ向かうと校庭に避難していて先生に長女を迎えに来たことを伝えると強張った表情の長女を引き取りました

一先ず娘達が無事だったことで安心しチャリを転がし歩いて自宅へ向かいました
途中長女が変な雲、地震雲かなぁ?と空を見上げていました
その時点で渋滞がはじまっていました

帰宅すると食器棚から皿が数枚落ちていたくらいで本棚やテレビが倒れていませんでした

『お兄ちゃんのお迎えに行くから留守番していてね』
と娘達に言いバイクで中学校に行きました
地元で大きな神社の鳥居が倒壊しているのに驚き、壁が倒れている店や家がたくさんあり小雨が降ってきました

中学では体育館で避難していて先生が、迎えに来れない保護者がいた場合学校に泊まることになると言っていました

長男を後ろに乗せて少し市内をバイクで走りました

こんな怖い思い二度と経験したくない
けど
万が一あった場合現状をみて脳裏に焼き付けなきゃ

そんな気持ちで帰宅して夫と母の帰宅を待ちました
母も私と同様地元で仕事だったのでしばらくして帰宅したものの夫は他県へ車で仕事に行っていたのでいつもの時間に帰宅なんて出来ませんでした

想像以上の渋滞、おびただしい車の数
夫がやっと家路についたのは真夜中でした

2011/3/11

あれから10年
東日本大震災に見舞われたみなさまへ追悼の意を表します



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